腰痛のヘルニアで苦しんでいるうちに庭が荒れてしまった。まさに浅茅が宿。雑草が猛々しく茂り、植物がアナーキーに伸び、ヤブ蚊と虫どもの天国。地面にはセミが這い出た無数の穴。クマゼミの騒音には我慢もできるが、大切に育ててきたマクワウリや里芋、立葵、その他広葉の植物に深刻な病気が広がりつつあるのは大変だ。薬剤を散布してもたちまち梅雨の雨に流され、もはや抵抗も空しいかと絶望する。立葵ではオトシブミが葉を巻き、ちぎり捨てても、たちまち新手がきて巻き続ける。

幼い頃、初夏に田舎へ行くと、夜不思議な光景に出会った。漆黒の闇に浮かぶ無数のあかり、誘蛾灯だ。稲の害虫、ニカメイガをおびき寄せ、稲を守る。誘蛾灯の効果には是非があったが、敗戦後アメリカから持ち込まれたD.D.Tで、不夜城の光景は終わった。

人間と害虫の戦いは千古不易と思い込んでいたが、実はそうでもないらしい。害虫という概念は明治の文明開化で生まれたという。それ以前にも日本人は人間の食糧をかすめとる虫どもの振るまいを指をくわえて見ていただけではなかった。江戸時代の農書にみる、たとえばニカメイガ対策は、誘蛾灯の基本原理となったらしい。と、同時に、神仏の虫封じのお札や虫送りの行事も熱心に行われたと。それは日本人がD.D.Tを作り出した文明とは異なる思想にあったからではないか。興味のある方は、ちくま親書『害虫の歴史』(瀬戸口明久)をどうぞ。