「青は藍より出てて 藍より青し」
ことは荀子のこの一句より始まった。長年ふにおちなかったこのことが、藍染めを実行してみてはじめた納得された。藍の葉からとった染液は青緑にどんよりと濁って泡立ち汚い。そこから澄んだ美しい青色が染め上がってくる。なるほど「出藍の誉れ」とはこのこと。荀子より無知なわたしは、藍といえば藍色しか知らなかった。
江戸時代、藍は大いに栽培され、特に阿波ではお殿様や藍玉商人たちを豊かにした。しかし明治時代末に化学染料がドイツから入ってくると、各地の藍栽培は衰亡してしまった。だが人間の辛苦が加わった天然藍は、時を経て使い込むほどに風合いがよくなる。
藍葉を乾燥・発酵させて、藍玉(すくも)にするのはとても難しい。そこで生葉染めにすることにして、春、庭に藍の種を一袋蒔き、初めて藍タデを目にした。同じタデ科ながら、ままごと遊びの赤飯になった紅タデは可憐だが、藍タデのなんと旺盛に茂ることか。狭い庭が息苦しいほどに茂る。
7月たなばたの頃。藍タデを刈り取り、染色騒動が始まった。とにかく藍は鯖の生き腐れ以上に鮮度が大切だから、色素が失われないうちにと焦りに焦る。やがて手袋も脱ぎ捨て、手を真っ青に染めながら、奮闘する。
白い絹のスカーフが、染液から出され、空気に触れ、再び漬けられた水のなかで酸素により媒染されて翡翠色に変化していく。この自然の生み出す変化の妙に、ただただ感動するが、その過程に人間も手を貸したのだと少しばかり誇らしく思う。