幼い頃、ほの暗い山中で見たカラスウリの花の幽玄な姿は、以来忘れ得ぬ面影として心に残った。都会暮らしのなかで、再びその花を見ることはなかった。

あるとき、小さな庭にカラスウリを育てようと思い立ったのが運のつき。この夏はカラスウリで一喜一憂、疲れ果ててしまった。

カラスウリのウェブサイトを見つけ、雌雄の根塊を注文して入手したのが、去年の12月。植え込んで、ワラをかぶせ、水管理に心をくだき、今年5月はじめてカラスウリの芽をみた。なんと双葉ではない。あやうく、雑草と間違えて引き抜くところだった。そしてゆっくり伸び出すと、そのなんとかぼそいこと。驚いた。幼児の記憶では、すべてが巨大化されているらしい。

7月。ウリハムシが訪れるほど葉が茂り、精妙な巻きひげでフェンスでからみつく。花はいつ咲くかと、7月下旬毎晩蚊にせめられながら花のつぼみを探す。寺田寅彦が「天使の握りこぶし」といったつぼみを早くみたい。

もうだめかと諦めかけたとき、天使が舞い降りた。そして数日にわたり、夜の黒を背景に、宇宙の白い銀河集団か、あるいは貴婦人のレース飾りかと、息をのむ、美しい花が咲いた。感動のあまり、呆然として眺めていたが、少しおちつくと、大変なことに気がついた。雄花がいない。雌花ばかりではないか。処女マリアの奇跡はない。朱色の実がなったら、「打出の小槌」のような形の種をとり、振り振りして、ビル・ゲーツをしのぐ大金持になるはずだったのに。雌花はやがて空しくしぼみ、私の望みも土に落ちた。