高潮
ソサイエティ諸島で、一人の漁夫が海で釣りをしている時、たまたま海神ルアハクの頭髪に釣針をひっかけてしまった。もちろん海神は怒った。無礼な人間を生かしておくわけにはいかないと、海水を陸地に氾濫させて人類を滅してしまった。

8月30日夜、誰かが海神の頭に釣針をひっかけたらしい。台風16号とともに高潮が海辺の私の家に押し寄せてきた。なにしろ、人生ではじめての体験。未知との遭遇に気分は高揚、ベランダから湖と化した景色に感嘆しているうちに、足下の庭が全滅したことに気づかなかった。気づいたとき、すでに庭の草花は沈没。海水にたなびく藻と変わり果て、赤やピンクのホウセンカが水中に倒れ伏してゆらめく姿は、妙に艶めかしかった。やがてプランターやバケツ、板きれ、ペットボトル、床下に隠していた具合のわるいもの一切が、庭に漂いだしてきた。ペチュニアは土ごと門扉のあき間から流れ去った。

8月30日午後10時頃の庭。31日午前1時頃には海水は引き始めた。

翌日から木が落葉し始めた。9月というのに庭は冬枯れだ。

落葉して枝がちの楠

ダイダイの木、丸坊主

枯れいろのうの花

高潮の惨禍は、庭に棲む小さなものたちには一層はげしかった。ボーフラ、ゴキブリ、ダンゴ虫が溺死し、食樹の葉を失ったアゲハの幼虫やイラガが餓死した。コオロギ、バッタ、カマキリなど、移動力のあるものはしっかり生きのびている。

コオロギほどの移動力もない不幸な独居老人が寝たまま水死した。高潮に無知、無防備なこの街の財的被害も甚大であったが。

さて海神の頭に釣針をひっかけないためには、どうすればいいのだろう。瀬戸内海の水位が高まっているという。地球的規模では、この100年で平均気温が摂氏0.7度上昇。北極海やグリンランド・南極などの氷床が縮小、融解して海水面が上昇しているという。そのため水没の危機にあるツバル共和国の悲痛な訴えに耳を傾けよう。高潮はこの街にも、しばしば起こり得る現象になったのかもしれないのだから。

高潮から2週間。枯れたワレモコウから緑の葉が出ている。このみじめな庭にも、再生の希望はある。

壁紙は、庭の古なじみ、雨蛙くんとついに花を咲かせなかった茶碗蓮の葉っぱです.