まお 見聞を広めること

ぼくの家の門は開けっぴろげ。直接道路に続いているから、野良犬が勝手に入り込んではぼくの聖域を荒らす。こわくておちおち庭を散策もできない。
ある日里親が、門扉をつけようかと、ぼくに相談する。ぼくとしてはテリトリーの安全保障上、文句なく賛成する。そして、アコーディオン門扉がついた。野良猫なら出入自由だが、いつも通るセントバーナードはくぐれまい。一安心だ。隙間から首を出して大いに見聞を広めよう。体験学習は大切。
初日は腰がひけて鼻先ばかり出してみた。うん、これが世間の風というものか。次の日は頭を全部出してみる。180度の視角で、ぐっと見聞が広がる。次の日はしっぽだけ門の内に残して全身せり出した。が、世間の荒波が一度に押し寄せてくる。パニック。もっと肝をきたえなくっちゃ。

まお 沈思すること

外界の情報収集に疲れたら、静かにそれらを整理し考えてみよう。美しい花園に腰をおろし〈里親「やめて〜」〉、今日門前を通りすぎた人間たちをまずカテゴライズする。人間にも猫と同様、大・中・小ある。そのそれぞれについて得た印象を分析する。大はたいていぼくに気づかない。中はぼくを認めてくれるが、ときどき凶暴なのがいる。小はまだ人間ではない。

まお 5月5日に思うこと

5月5日は、いやがるぼくに変なかぶりもの〈「かぶと」というらしい〉をのせて虐待する日です。
だいたいかぶとのような好戦的なオーナメントは平和主義のぼくには不似合いなのだ。ぼくと同類のライオンだって、血まみれの狩はするがそれは最低限、生きていくためのこと。争いは人間の属性で、猫族にナポレオンも ピル・ゲーツもいないでしょ。
戦争には、とんな戦争だって正義はない。あるのは人間とその文化の破壊だけだ。イラク戦争の本質などぼくにだってわかるのに。だから、イラクでの日本人人質をめぐる日本政府と一部世論のヒステリックな反応には、もうがっかりしてしまった。