ダイエット



待ちきれないコタツ
ぼくのコタツはちと小さいごはんがからっぽ

ひもじいので爪を噛む(ウソ)

サラダは腹の足しにならないと思う


 冬が近くなるとわくわくする。里親がやっとコタツの用意をはじめたときには待ちきれず、まだたたんだままのコタツ布団の間に入って叱られた。

 ぼく専用のコタツはあるが、これは上に乗って昼寝するためのもの。森羅万象について思いめぐらすには大きなコタツの中にもぐる方がいい。ヒーターが熱すぎるときは、コタツの横の方に寄る。これには危険がある。そそっかしい里親に時々踏みつけられ、痛い思いをする。

 さて今年も終わりに近づいた。とりわけ良いことはなかった。良くないこともなかったが、ダイエットを強制されたときは辛かった。

 ある日、お鉢のカリカリがとても少なくなった。昼前にはもう一粒もない。あまりの悲しさに、空のお鉢の前でうなだれる。そっとないてみる。

「まおちゃん、ひもじいの」

 中味のないずだ袋のようになったぼくのお腹が力なく震える。

「少しだけね」

20粒もらって、なんとか空腹の虫をなだめる。

 毎日こんな状態だと、ぼくの心は凶暴になる。台所に立っている里親のかかとに思いっきり噛みつく。

 今は元通りの量になったが、兵糧がいつ断たれるかと、ぼくの不安はおさまらない。以前よりもたくさん食べるようになった。「リバウンド現象」というやつらしい。ぼくはやせたソクラテスよりも太った豚であるほうがいいのだ。

 ぼくら猫族がどんなに至高の存在であるかを物語るエピソードがある。18世紀、ロンドンに来た8歳のモーツァルトは、その天才ぶりをためした科学者たちを「驚異的、信じられない」とうならせた。ところがモーツァルト少年、そんなテスト中の部屋に猫が入ってくると、たちまちハープシコードの演奏をやめ、猫を追いかけまわしたと。モーツァルトの至高の音楽さえ中断させるぼくら猫族に、凡庸な里親のはかりごとなど、笑止というほかない。