猫の哲学は「本来無一物」だが、人間と暮らして6年あまり、ぼくもすっかり物持ちのブルジョワ猫に堕落してしまった。ぼくのせいではない。ぼくは羽布団に寝ようが、地べたに寝ようが、一向に頓着しない。ぜいたくにたじろがず、貧困にめげず、常に品位を保つのが、猫というもの。
ある日、渡辺源二商店から大きなダンボール箱が届いた。里親が嬉々として開ける。ぼくは箱がからになるのをじつと待つ。空箱に飛び込むタイミングは結構難しいからね。見ていると、大きな渦巻きせんべいのようなものが出できた。良いにおいがする。
「まおちゃん、夏の円座よ。いぐさでできているから、爪を磨いてはいけません。」
素直に座ってみる。すわりごこちは悪くない。里親の目をかすめて、ちょっと爪をひっかけてみる。よく切れる。おもしろい。夢中で引っ掻く。いぐさが次々と突っ立ってきて草原のよう。その上に座れば、ナチュラル・ライフ。
数日後、もっと大きな箱が届いた。中から、でかいわらの釣鐘のようなものが現れる。
「まおちゃん、猫ちぐらよ。関川村の横山キクさんが作ってくれたの。キクさんに感謝しましょう。」
そして、里親たちはちぐらのあまりの見事さに感動し、ぼくのことなど忘れてしまう。雪国の人々の猫への愛情から始まって、「北越雪譜」の世界へ。反転して現代の「こしひかり」農業へ。それがいかにして農村の伝統的な手仕事を滅ぼしたのかと、熱く二つの舌が回り出す。
ぼくは、わら製品など、正月のしめ飾りしか見たことがない。里親たちによれば、かつて農村副業として多様なわら製品が作られ、日本人の日常生活のあらゆる面で利用されてきたとか。現代農業では、もはやわら製品は不可能になったと、里親たちは絶望する。ぼくはそうでもない。でもこの釣鐘のようなドームのようなしろものは結構おもしろそうだ。じっくり調べることとしよう。上に乗る。カーブがぼくのおなかの曲線にぴったし。小さな入り口からもぐり込む。ゆっくり丸くなれる。ドームに前足をかけて爪を磨ぐ。わらが細かく毛羽立ってくる。爪とぎは円座のほうがおもしろい。
「まおちゃん、爪磨いだらダメ。万ションなんだから。」
それなら「円座」も「万座」じゃないかと思いつつ、中に逃げ込んだぼくを、里親はちぐらごと横倒しに転がす。気持ちいい。構造計算をごまかしてないから、安全だしね。
宇宙船ちぐら号ムービー
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