朝、里親が新聞を読んでいる。クラシック世代で思考のトロイ里親は、テレビやインターネットのニュースに追いつけない。新聞は目前から逃げ出さないから、同じ記事を何度も読む。ようやく理解したところで、たいてい怒り狂っている。ぼくも向こう側に座り、一緒に読む。字が逆さまだから、読みにくい。
なになに。一流アパレル企業がペット服に乗り出すと。大変だ。ぼくら猫族の受難がさらに増える。ぼくらに服を着せるのは、「猫に小判」よりも無意味なのに。まだ小判のほうが、カリカリとか死ぬほど買えるだけ、意味がある。
「どうしてぼくに服を着せたいの」
「カワイイからね」と里親。
「カワイイ」という一種の美意識は、人間、特に今の日本人に独特のもの。江戸時代に、猫好きの歌川国芳という浮世絵師がぼくの先輩猫に着物を着せたり踊らせたりしているけれど、およそカワイくない。あくまでも猫らしく、毅然としてりりしい。凄みさえある。国芳は猫のアイデンティティを大切にしてくれたのだ。思うに、「カワイイ」は、真実にたえられない、現代日本人のひ弱な精神に由来するのではないだろうか(独断)。
ま、里親たちがぼくに「カワイイ」美を見るのも、少々なら我慢しよう。時にはぼくの「カワイイ」虚と「カワイクナイ」真実を見比べるのも楽しいかもしれない。変身願望は猫にもある。