月見の器


月見

月見の器1 月見の器2・3

仲秋名月の九月十四日。庭のススキ・ハギ・オミナエシ・フジバカマ・キキョウを壺に入れ、月見団子を作って名月に備える。月探査船「かぐや」に託した私のメッセージは月のうさぎに届いただろうか。

「名月不帰沈碧海」(李白)。名月にたとえられた阿倍仲麻呂とはどんなに見事であったかと想像する。「明月記」の作者はどうだろう。藤原定家が自分で「明月記」と名付けたわけではないらしいが、この日記は「夜に入りて月明し」「明月片雲無し」など、月の既述から始まることが多い。定家本人はなかなか明月のような人とは見うけられないが、毎晩睡眠導入剤がわりに「明月記」にお世話になっているから、私にとって月のように親しい人である。

玲瓏と冴える明月に心を洗われ、月見団子をお相伴したところで、不快なニュースを思い出した。ウルグアイ・ラウンドに従って、輸入する米のうち事故米・汚染米がいつのまにか食用として流通していた。かび毒アフラトキシンは肝臓ガンを引き起こす。これはメタミドホスより性悪だ。長年C型肝炎と友好関係を保ってきた私としては、月見団子に含まれていたかもしれないアフラトキシンの許容量をあわてて計算する。

汚染米を売りつけた政府、安く買い取って転がしまくり、見事に食用米に化けさせた業者。汚染米の処置に困る売り手としての前者にとって、後者はありがたいお得意様だ。売り手が上得意の買い手を悪く扱うはずがない。だから農水省の認識は、「人体には影響しない。だからあまりじたばた騒ぐな」。事態が深刻化し始めると、「私どもには責任があるとは考えていない」。

嘆けとて月やはものを思はする かこち顔なるわが涙かな 西行