チンドン屋猫社中

政権が代わった。夏の終わりの一ときの興奮が去った。今、秋風が立ち、玲瓏としたときが来るはずだが、現実は重く、閉塞感は相変わらずだ。新しい政府首脳の言葉づかいが、垢じみた紋切り型でないだけでもよしとするか。

気分が滅入ると、前よりも後を振り返りたがる。前政権はまっぴらだが、「滅びしものはなつかしきかな」(若山牧水)。滅びしものの一つに、チンドン屋がある(今でも、イベント・ショーとしての チンドン屋はあるらしいが)。庶民の広告媒体として、路上で、さまざまな商品知識を紹介し、楽しい音楽を聞かせてくれたものだ。派手な衣装に、厚塗りメーキャップ。何より立て板に水の巧みな口上にうっとりしたものだ。楽器の取り合わせも、クラリネットも三味線もと、自由奔放。チンドンの鉦(かね)と太鼓は必須アイテムである。

活字・テレビといった古典的な宣伝手法は、今やインターネット広告に押されて傾き、路上は移動・輸送の手段になってしまった。人間関係が水の如く淡くなり、社会が流砂の如く頼りなくなった今、路上は淋しくなってしまった。