春の庭は光と色彩に溢れている。去年の秋うんざりしながら大量の球根や苗を植え込んだときには、想像もできなかった美しさだ。ただ想像力に欠け、計画性に欠け、記憶力に欠けた作り手のせいで、ミニ・チューリップが虞美人草の茂みのなかでもがき、キキョウは水やりを忘れられた植木鉢から瀕死の芽を出さねばならない。グランドカバーと土壌改善のため、レンゲの種をまいたが、なぜだかカラスのエンドウが茂る。なんという、ずさんさ。これを「からすの指」という。

それでも美しい花を咲かせたものたちを、心から畏敬する。

小さな庭には小さな花がよい、と至極単純な発想で、ミニ・チューリップ(原種系)を植えた。チューリップが故郷の中国天山山脈を出て中近東に拡がったいきさつは知らないが、私の幼い頃(大昔)すでに、チューリップは幼児の絵の定番だったほど日本でもポピュラーな花だった。聖書で「シャロンのバラ」と呼ばれ、11世紀のペルシャの詩人が酒と美姫とともに愛し、トルコではスルタンも庶民も熱愛したチューリップである。いつかチューリップ模様のトルコかペルシャの絨毯がほしいものだ、と思う。