お花畑図鑑 朝顔

ミルキーウェイ 2011
朝顔とカエル こんにちわ

ヒルガオ科アサガオ属。つる性一年草。学名Pharbitis nilだが、サツマイモ属(Ipomoes)とする説も。原産地は中国から東南アジア?Aあるいはミャンマ中北部からヒマラヤ東部と推定されている。

日本に渡来したのは奈良時代末。遣唐使が薬草として持ち帰ったという。薬となるのは乾かした種で、「牽牛子(けにごし)」と呼ばれた。主要成分はケンフェロール配糖体で、下剤・利尿剤として効能がある。また虫さされにアサガオの葉の汁をつけると腫れないという。この頃は花を観賞することはなく、『万葉集』に七草のひとつとして出てくる「朝貌」もききょうだとする説が一般的である。

平安時代には、花が鑑賞されるようになり、『源氏物語』や『枕草子』の「草の花は」の項目にも登場する。すぐにしおれることから「無常」やはかなさのシンボルとして、寝起きの顔から連想して恋に関わる花として歌や物語に登場した。10世紀の『本草和名』には「牽牛子 和名 阿佐加保」と記されており、「あさがお」と呼ばれるようになっている。

江戸時代には園芸植物として多彩な展開をとげた。寛文期(1661〜73)に白花が発見され、その後紫・薄紅・濃青色などの花色があらわれた。また重弁の牡丹咲のような変化朝顔も登場した。こうした変化アサガオは種子を結ばない変異を持つものも多く、親や兄弟木から種を取ることで維持されるなど、高度の品種改良技術が駆使されている。文化末年から文政初年と弘化末年から文久初年の2回のブームがあった。文化・文政期(1804〜30)の第一次アサガオブームには『牽牛子類図考』などの専門図譜も出版された。この頃には現在では失われている黄花があったことを滝沢馬琴が『玄同放言』に記している。嘉永・安政期(1848〜60)の第二次アサガオブームには、采咲や代咲のさらに複雑な花が現れ、入谷の成田留次郎を中心とした愛好家が花を競った。

明治に入ると、変化アサガオブームは下火となり、種子で増やせる大輪花が好んで作られるようになった。

花ことば はかない恋。