お花畑図鑑 日本の綿

日本の綿は派手だった。クリーム色でまんなかが鮮やかな赤。もとは熱帯の花なんだなあ、と納得した。アメリカの綿の花は白い。日本の綿はきゃしゃだが、結構伸びる。アメリカの綿はがんじょうである。日本の綿はさすがというか、葉をくるくる巻いてしまう謎の害虫にやられた。アメリカの綿を育てたときには虫はなかった。コットンボールは日本のがやや小さめ。

アオイ科ワタ属の多年草。原産地はインドとアフリカといわれ、紀元前2000年にはインドで栽培され、繊維として使われていた。中国への伝来は晩唐とも北宋とも言われている。日本に本格的に伝わったのは戦国時代で、江戸時代初期にかけて急速に栽培が拡大した。その綿は、現在のエジプト綿・アメリカ綿が新大陸で発見された品種であるのに対して、インド原産の旧世界綿に属した。新世界綿の綿毛の繊維が1インチ(2.54センチ)以上あるのに対して、1インチ以下の短繊維で、直径が太かった。そのため糸は太糸になった。

未熟な綿の実(コットンボール、江戸時代には「桃」ともいった)を切ってみた。なんとなくスポンジ状ではないかと想像していたが、ねっとりとした感じである。

綿の実はじけました。収穫するときは萼ははずして「実綿(みわた)」にするそうだが、これは萼つき。綿毛は綿の種子の表皮細胞が変形して毛状になったもので、1個の種子に約1万本の綿毛が密生しているとのこと。さて、綿の種子はどこでしょう。
手作業で解体した。綿の種子(「綿実」)が30個くらいあって、時間がかかる。江戸時代には綿繰りろくろで実綿を繰り、綿毛と種子を分離した。分離された綿毛が「繰綿(くりわた)」。生の綿毛は管の中に水を入れたようなもので、熱するにつれて内部の水分が枯れて中空になり、さらに繰綿にすると管内の水分は全く乾燥して、綿毛が自然によじれる。

種子には60〜70パーセントの高純度のタンパク質があるが、ゴシポルという毒性もあるので、これを除いて食用油にしたり牛の飼料や肥料に使う。江戸時代には菜種とならぶ灯油の原料だった。