3歳の誕生日  

3月22日は、ぼくの3歳の誕生日だった。里親から、コアジの乾物、大阪のおかあさんから アメジストのペンダントをプレゼントされた。コアジは大好き。アメジストには「癒し」の効果があるようだ。ぼくはしあわせ…本当か。ベランダでおなじみの隣りのマダムは、いつもぼくのことを「しあわせね」と言う。門を通り過ぎる人々は庭にいるぼくを見て、「きれいな、可愛い猫ちゃん」と言う。里親は大喜びだ。ぼくもうれしくないことはないが、里親ほど単純ではないから、しっぽをふる気にはなれない。

ぼくは退屈している。ほとんどパターン化された日常に。何か冒険はないだろうか。
そうそう、いつだったか、床下で追いつめられた子猫を助けようとかけつけたことがある。もちろん床上だが。すると、見えない凶悪な殺し屋(たぶんイタチ)が、床下から不穏なおどし声(ふう)。不覚にも、肝がつぶれて二階まで敗退したぼく。これからは知的な冒険だけにしよっと。

里親が鉢のシクラメンを手入れするのを、そばで観察していた。「シクラメンは毒だから食べてはいけませんよ」もちろん、猫はシクラメンなんか食べない。里親がいなくなると、鉢に手を突っこみ、里親が土に隠した固形肥料を掘り出す。チョイとイワシ風味か。軽く口にくわえて振り回すと、バラバラと飛び散る。これは怒られるスリル満点なのが、めっちゃ面白い。

里親は図書館から本を借りてくる。本にはなにか退屈解消の効能があるようだ。そこで、ぼくも読んでみることにした。どこがエンタテインメントかさっぱりわからないほど、むやみに人が殺される。人間以外の生き物は、自分が生きるために必要な殺ししかしない。ぼくも空腹ならバッタを食べるだろう。ひもじくないぼくはバッタを食べたりしない。遊び過ぎて、バッタがばらばらになるという悲しいことはある。でも、人間も猫よりりこうとは思えない。こんなつまんない本で残り少ない人生を浪費するのだからね。この本を枕に昼寝しよう。悪夢をみなけりゃいいんだけど。

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