この歌もそうだが、西行の旅は美しいイメージの背景に何か無気味な気配を感じさせる。
西行は羨ましい人である。同時に平明流れいな歌の底には黒々としたデーモンの影が見え隠れして、常人には危険な人でもある。
西行は豊かな家に生まれ、北面の武士として地下人ながら平安宮廷の雅の中で生き、それが突然失恋だか何だかあっさり世を捨て出家。風狂の旅にさすらうかと思えば、権力者源頼朝に会って銀の猫をもらう。もらったかと思えば、すぐ路傍の子供にくれてやる。編集中の「新古今和歌集」に自歌を選入させようと、若輩の藤原定家にまでごますったりと、何とも複雑な人である。
幼い頃住んだ家の襖には、妙な笠をかぶって後ろ向きに座った黒衣の坊さんと松原、小さな富士山が描かれていた。とても子供の興味をひくような絵柄ではない。ましてその坊さんが「行方もしらぬわが思ひかな」〈「新古今和歌集」〉と悩んでいる「富士見西行」の構図とは知らなかった。
西行が、西行自身コントロールできない心の闇、人間実存の不条理とでもいったものにつき動かされていたとすれば、その矛盾だらけの行動も何となくわかる。だからこそ、