あかり 点燈鬼 灯明
これは奈良興福寺の国宝「天燈鬼」に似ているが、全く非なるもの。単なる「点燈鬼」にすぎない。本来、朱を彩り、すさまじい力感と憤怒に満ちた鬼が、こんなに呵々大笑。大口あけて笑っていたのでは、さまにならない。
さまにはならないが、天燈鬼のパロディを作ったわけではない。今は人間が見失ってしまった「鬼」なるものへの深井哀惜の思いを表現したつもりである。

かつて世界が今よりゆるやかでほの暗かった頃、鬼はあまねく存在し、人間の世界観の根底をなしていた。それが今では、ただ人の心のなかに棲む卑小な存在にまで貶められてしまった。たとえば四天王の足下に踏みつけられ、うめいている邪鬼。邪鬼の愛嬌ある悪相を見ていると、鬼、つまりきびしい世界原理に堪えられないひ弱な人間が見えてくる。私が首ったけの東大寺戒壇院の広目天は、こうした邪鬼を踏みながら、深いまなざしで世界の彼方を見つめているのだろう。
あかりをつけたところ

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